KOU1日記

DDRの事を中心とした日常の日記

2022/10/30  好きという事

今日は哲学っぽいことを書きます。エールを送ります!!これは恋愛に限った話ではなくて友情とも考えてほしいです。

コロナ生活になったのもありココ3年間くらいは、仲の良い友達と遊ぶことは有りましたが、交流が減りました。そんな中で、最近になってまた行動するようになり、久々に感じたこと、そしてこの日、嬉しいことがあったのでここに記します。ただ、恋愛に限定するの話では無いので予めご了承下さい。


みなさんは好きな”ヒト”っているでしょうか?

 

・〇〇さんの▽▽なところが好きだ!

・◆◆さんの★★に好感もてる~

 

とか、それは様々で。

部分的に見れば好きな”トコロ”なんて沢山あるけれど、自信をもって「好き」と言える"ヒト"はどれくらいいるのでしょうか?

食べ物とかだったら、好きなものは食べるし、嫌いなものならあまり食べないし、わかりやすいですけど、これが”ヒト”だとまた違うわけで。

 

”ヒト”を好きになるって行為は、簡単な事のようで、そんな簡単な事では無いと思う。簡単に「好き」って言ってもそれは瞬間的なところであり、次に裏切られただの、なんらかんらで簡単に「普通」「嫌い」になるのであれば、それはその場都合のカマッテチャンなのかなとも思う。
これは別に恋に限った話で無く友達としても、同じことが言える。

 

別に「好き」って言葉に重みをもたせないのであれば、
良いことをされたから一時期的に「好き」という、最初に記述した

・〇〇さんの▽▽なところが好きだ!
・◆◆さんの★★に好感もてる~
みたいな部分的な”トコロ”なのであろう。

 

究極な極端な言い方をすれば、夫婦でいうと、
自分が一番大切だから、奥さんより自分優先にはなってしまうけど
子供なら話は別だ。親は子供の為なら犠牲になるであろう。


さすがにちょっと本末転倒な話になってしまったけど、
本人にとっての奥さんは、好きな"トコロ"が増え、好きな"ヒト"になったのであろう。
そして結婚したのだ。と。
勿論、嫌な部分も見えるかもしれない。
けど、それを理解した上ですきな”ヒト”なのだと思う。

 

知り合いであろう、友達であろう、異性であろう、
好きな”トコロ”が増えたとき、人間は、その人に興味を持つと思う。
そして心から、「好き」と認識したとき行動に移せるのだと思う。

勿論、リスクもある。

それが怖いからヒトはなかなか行動に移せない。

でもさ、そこまで好きなら

失敗したっていいじゃないか。 
自信をもって好きって言えるってのは素敵なことだと僕はそう思います。
自分に素直に!!